しまね留学インタビュー
2021.06.08
島根県立矢上高校 山野春太郞さん
しまね留学インタビュー
2021.06.08
島根県立矢上高校 山野春太郞さん
山野春太郞さん
・ 東京都出身
・ 田舎への憧れと農業への関心からしまね留学に
・現在、東京農業大学で農業について学ぶ
田舎と農業に憧れ東京から島根へ
命を育む環境で学んだ山野春太郞さん
農畜産業が盛んな島根県邑南(おおなん)町は、豊富な水資源を持つ高原地です。「腕に覚えのある人間」「筋金の通った人間」「思いやりのある人間」を校訓に掲げる同県立矢上高校(同町)は、普通科のほか、野菜・畜産・工業について学ぶ産業技術科を有します。同科では、地域と連携した農畜産に関するプロジェクトなどを通し、人々の安心な暮らしにつながる「ものづくり」「環境づくり」について学んでいきます。小学生のころから野菜への強い関心を持っていた山野春太郎さん(21)は、東京から同校にしまね留学しました。農業の知識や技量を身につけ、現在は東京農業大学で農業について学び続けています。「憧れていた田舎での高校生活」を、2年間担任を務められた安食淳一先生とともに振り返ってもらいました。
「肉魚が食べられない」 偏食がきっかけで野菜への意識が高まった子ども時代
――しまね留学のきっかけは田舎への憧れと農業への関心があったようですが、いつ頃からそうした意識をお持ちだったのでしょうか。
山野春太郎さん(以下、山野さん):小学校の低学年のころは、肉や魚が食べられない偏食持ちでした。野菜や果物しか食べられず、栄養失調になるのではと母が心配していたほどです。そのころ、祖父が趣味で野菜を育てていました。収穫された野菜が定期的に家に届いたり、実際に祖父の農地で野菜の収穫を手伝ったりすることもあり、野菜がずっと好きでした。また、カブトムシなどの昆虫も好きでした。図鑑を見ながら虫の生息地を考えることがあり、「きっと田舎にはたくさんいるのではないか」「田舎に行きたい」と。そんな思いから、自分が住んでいる都会とは異なる田舎に対して自然と憧れを持つようになったんです。
――実際にしまね留学を知ったのはいつですか。
山野さん:中学2年生か3年生の時に、幼なじみの母親からしまね留学の見学会に誘われました。見学会で印象的だったのは、説明されていた方々が非常に熱心だったことです。一言一言が魅力的で、意志が伝わってきました。現地に行っても後悔しないだろうと思えましたね。
――しまね留学への関心をご両親に伝えられた際の反応はいかがでしたか。
山野さん:「やりたいことをやれ」「行きたいところに行け」と背中を押してくれました。両親は私の進路を決めたがったり束縛したりするのではなく、自由奔放に育ててくれました。両親の理解も後押しになりました。
――県外に進学する生徒は周囲にいましたか。
山野さん:私の知る限り、全くいませんでした。周囲の反応は「何でそんなところに行くの」「東京でも良くない」といった感じでした。実際、東京から矢上高校までは片道6時間かかりますから(笑)。島根についても、「鳥取との違いがわからない」といった人が多かったです。
――それでも矢上高校に行こうと決意させた魅力はなんだったのでしょうか。
山野さん:農業のことだけでなく、「親元を離れて周囲とコミュニケーションをとる機会を得たい」「家事などの生活力を身に付けたい」という思いもありました。また、現地見学で説明をして頂いたコーディネーター(※1)の方や、東京から来られていた大学生の先輩方が暖かく接してくださったことも印象的でした。島根を心地よく感じたことを覚えています。学校の農地も見学させていただきましたが、この農地を使って3年間作業をすることに思いをめぐらせ、想像が膨らみました。
※1 高校魅力化コーディネーター:学校と地域をつなぐ存在として、生徒募集活動や生徒の地域活動の支援、また探究学習のサポートなどを担っている。2020年5月時点で、県内に50人程度配置されている。
安食先生:中学生でそこまで考えて進路を選ぶというのは難しいところがあると思いますが、彼には強い意志があったと感じています。
農業鑑定競技で県内1位、全国大会でも優秀賞を獲得
――入学式の日のことを覚えていますか。
山野さん:校長先生がすごく元気の良い方だったことを覚えています。校長先生はしまね留学の説明で東京に来られていた方でした。入学式の後に寮に入りましたが、同学年にも関東地方の出身者など、自分と似た境遇の人がいました。矢上高校に来たのは自分だけだと思っていたので、安心しました。
――寮での1日の生活を教えてください。
山野さん:吹奏楽部に所属しており、放課後は午後6時半ぐらいまで練習があります。急いで寮に戻り、野球部が寮に戻ってくる前に食事と入浴と洗濯を済ませていました。野球部に全ての洗濯機と乾燥機を占領されますから(笑)。洗濯が終わると、点呼がある午後9時まではどこかの部屋で寮生と話をしたり、ゲームをしたりなど、休憩時間として過ごしていました。点呼が終わると掃除をして、終わったら部屋に戻り勉強の時間です。大体1時間ぐらいですが、部活が休みになるテスト期間中は少し長めでした。寮生と他愛もないことをして過ごす休憩時間が好きでした。
――寮での様子が伝わってきますね。安食先生、山野さんとの最初の出会いや当時の印象を教えてください。
安食先生:山野君が2年生の時に担任になりました。担任になって間もないころに印象的だったのは、彼が朝早く学校に来て勉強していたことです。農業鑑定競技という、例えば農機具や肥料、植物の名前、種が改良された年や名前の由来など、農業に関する知識を競う競技があります。山野君は島根県の大会でずっと1番で、全国大会でも優秀賞を2年連続で獲っていました。こうして早く登校して、自分で勉強する子がいるのだと。最初はそういったイメージがすごく強かったです。
山野さん:安食先生は本当に優しい先生でした。特に、進路を決めるときのことが印象に残っています。島根大学と東京農業大学のどちらかを検討していたのですが、安食先生が島根大学側にアポを取り、わざわざ連れて行ってくれたんです。たった1人の生徒のために。職員室でも気さくに話しかけてくれたり、寮生活への気遣いをしてくださったりと、かなり「模範的」な先生でした(笑)。
安食先生:最近褒められることがないので嬉しいですね(笑)。矢上高校は広島にも近く、ある程度の県外生がいます。寮生は親元を離れているため、健康管理には特に気をつけました。親御さんの役割はできませんが、親心も必要だと思っていました。ルールを守らせることについては厳しく対応しますが、不安なことを含めて話を聞いてあげることは大切だと思い、バランスをとりながら接していましたね。寮がある学校では、教員側が追う責任が少なくありません。「親元を離れて矢上高校に入学して良かった」と言ってもらえるようにするのが、教員の役割だと思います。役割を少しでも果たすことができていたのであれば、嬉しいことです。
苦手だった牛舎での作業で育んだコミュニケーション能力とチームワーク
――先生との強い絆を感じますね。矢上高校では東京で経験できないことも多かったと思いますが、印象に残っているエピソードを教えてください。
山野さん:衝撃的なことはたくさん起きましたが、一番は夏の牛舎の臭さでしょうか(笑)。もともと動物園が苦手で、臭いには苦労しました。牛を飼っている農場を順番で担当しますが、夏の当番になると糞尿の処理は本当に吐きそうになります。臭いを落とせないまま部活に行くのが、すごくはばかられたことを覚えています。「自分は産業技術科の生徒なんだ」と実感する瞬間でしたね。3年間で最もインパクトがあり、カルチャーショックを受けた体験です(笑)。
安食先生:そりゃ、臭いはしますよね(笑)。われわれ農業教員は「人間は命をいただいて生きている」と教育します。ですから山野君も、そうは言いつつも家畜をいただいて生きていることを感じてくれたかと思います。
――多くの人が経験できるものではありません。得られたこともたくさんあったのではないでしょうか。
山野さん:農場での作業は、チームワークが非常に大切になります。頭の中だけで考えていると相手に伝わりづらいことも多く、作業が非効率になることもあります。しかし、同じ肉体労働を経験している者同士で意思疎通を図ると、共有できることが多いです。牛舎が臭いという体験も然りです。単純なことではありますが、だからこそコミュニケーションも取りやすかったです。コミュニケーションがうまく取れれば、作業も早く終えることができます。
安食先生:ここぞという時に、見て見ぬふりをする生徒がいないクラスでしたね。とても大切なことです。彼らの姿勢を見て、「動植物を育てている生徒たちだな」と感じたことを覚えています。
時間に追われて心が折れた経験も
――得難い経験を通じてクラスメートとの絆も深まったようですね。様々な体験をされたと思いますが、3年間で最も達成感を得たことは何ですか。
山野さん:農業鑑定競技ですね。農業の知識を問う日本農業技術検定で、クラスで1位の成績を取ったことが参加したきっかけでした。農業鑑定競技を担当されていた先生から非常に注目されてしまい、「いばらの道」を歩むことになりました(笑)。
安食先生:注目した先生とは、私のことではありませんよ(笑)。
山野さん:朝早くと放課後に鑑定競技の勉強をすることになりましたが、部活動の時間が削られました。鑑定競技の勉強と、部活動に割く時間のバランスをとるのが辛かったです。自分が管理しなければならない時間が多く、他の生徒に比べて圧迫されていると感じていました。心が折れたことが2回ほどありました。
安食先生:優秀な生徒には様々な役職が付いてしまいがちでした。彼は部活動で副部長、農業クラブで副会長を務めていました。その上で鑑定競技や課題研究の発表、加えて普段の勉強もこなさなければなりませんでした。
山野さん:キャパシティーは完全にオーバーしていました。「なぜ自分だけがこんなに忙しいのか」という気持ちが根幹にありました。楽しめれば良かったのですが、限度がありましたね。
安食先生:「整理できていない」という話を山野君にしました。彼はまじめなので、全てを100%の力で取り組もうとする傾向がありました。その姿勢は間違っていませんが、ある期間休んだり、活動に制限をつけて物事を整理したりすることが大切だと話したことを覚えています。
山野さん:3年生になり、大学の受験勉強が加わったことで、取捨選択しました。農業鑑定競技と受験勉強の2つに注力しましたが、部活動との両立が難しくなり、同学年の部員には申し訳ないという気持ちがありました。
安食先生:1回休んで力を溜めながら頑張ってくれましたね。
山野さん:安食先生がケアをしてくれたのが何よりでしたが、母とのコミュニケーションも大きな支えになりました。先生には踏み込み過ぎた話ができない部分もありましたが、「他の生徒にも気を配らなければならないなかで負担になり過ぎてはいけない」という思いもありました。帰省するたびに、母は成長する姿を感じてくれていたと思いますが、やはり相当心配していました。
安食先生:お母様の存在は本当に大きかったと思います。すごく丁寧な方で、学校にも何度もお越しいただき、山野君のことを本当に真剣に考えていらっしゃいました。
自分の強みを作れる3年間
――物事を整理する力以外で成長を感じた部分はありますか。
山野さん:もともと人とコミュニケーションをとるのが好きでしたが、中学生のころまでは自分勝手な部分があり、一方的なところもあったのではないかと思います。高校生になってからは、自分が話すよりも、聞き手の反応を見ることが大切だと思うようになりました。うなずいたり、笑ってくれたり、あいづちを打ってくれたりすると安心します。ボールを投げるのも大事ですが、ボールを受け取る側を強く意識することが多くなったと感じます。職員室での先生方との会話のなかで鍛えられたのかなと思います。
――憧れていた田舎生活を送られたわけですが、実際に矢上高校で生活してみて、今どのように感じますか。
山野さん:東京に戻って感じたのは、挨拶されないことです。島根では誰でも話しかけてくれます。お互いに挨拶を交わすため、地域全体がフランクな雰囲気で安心できます。今はSNSが盛んですが、人との正しい関わり方は、実際に相手と向き合うことで培われるのではないかと思います。人との近さだけでなく、豊富な自然も田舎の魅力です。しかし、このところ頻発している異常気象による災害を見ると、自然は牙を剥くものだと実感します。精魂込めて育てた農作物が一瞬にして失われるという、厳然たる現実があることも感じているところです。
――今後はどのような形で農業に携わって行きたいとお考えですか?
山野さん:今はバイヤーに関心があります。高校3年間で、自分が育てた野菜を消費者にアピールする経験が心地よかったことを覚えています。東京と島根という2つの地の利を生かせればと思っています。
安食先生:山野君は「西洋野菜の栽培」をテーマにした在校中の課題研究で、邑南町と連携して協力農家へ西洋野菜の苗を配布していました。東京で行われた展示商談会にも参加し邑南野菜をPRするなど、ブランド化に努めてくれた実績もあります。
――しまね留学や矢上高校を検討している方にメッセージをお願いします。
安食先生:矢上高校に限らずしまね留学を考えている方には、島根県の豊かな自然と魅力を肌で感じてもらえればと思います。寮生活など堅苦しい側面もありますが、親御さんと離れて暮らすことで、自立する機会が得られます。山野君の言葉通り、島根の生活の根底にあるのは「人が人を助けてくれる」ということです。人とのつながりを増やしていくことは、一生の財産になると思います。
・
・
・
これからしまね留学を目指す方へ
辺境の地といっても過言ではない環境に身を投げ出すのは、並大抵の決意ではできません。だからこそ、それを乗り越えることで人間的にも成長できましたし、いろいろな人との関わりが持てました。関わりは、高校3年間で終わることはありません。今も若いですが、苦労する経験は若いうちに積んでおくべきだと思います。自分の強みを作れる3年間になると思いますので、決意がある方は、すぐに行動に移してほしいですね。
学校情報
島根県立矢上高等学校
〒696-0198
島根県 邑智郡 邑南町 矢上3921
TEL:0855-95-1105
この記事をシェアする