地域の人の声

2024.02.01

学外でも充実した毎日が送れるように、島親として地域の人と生徒をつなぐ

隠岐高校の島親さん

小川ヒロ子さん

隠岐の島町在住。すみれ美容室を営む。2022年度からしまね高2留学(https://shimane-ryugaku.jp/hs2-ryugaku/)生の島親に。他県に住む孫と1学期の間、隠岐で暮らした経験を活かして、一人ひとり個性が違う留学生を包み込んでくれる、「みんなのお母さん」のような存在。漁師からジオパークのスタッフ、学校関係者まで顔が広く、留学生たちが学外でのびのびと暮らせるように優しく導いてくれる。

小川ヒロ子さん

他県から、たった一人で島根にやってくるしまね留学生。そんな彼らが学校以外で地域の方と関わり、つながりをつくるきっかけとして、生徒一人ひとりに「島親さん」がついてくれる制度を設けている学校もあります。小川さんは令和4年度現在、しまね高2留学で隠岐へやって来た3人の留学生とふれあい、シーカヤックや釣りなどのレジャーを楽しんだり、「たこ焼きパーティがしたい」「すき焼きパーティがしたい」という生徒たちの要望に応えて、おいしいご飯を作ってくれたり。時には、一番の理解者として悩みに寄り添うなど、留学生の成長を一番近くで支えています。今回はそんな小川さんに、島親の目線で見たしまね留学生について、お話を伺いました。

 

 

孫が教えてくれた、「人生でムダな経験はない」ということ

 

――さっそくですが、島親になろうと思ったきっかけを教えてください。

小川ヒロ子(以下、小川さん):高校の魅力化コーディネーターの方から誘いがあったのと、数年前に県外に住む孫が不登校になって、隠岐の高校に通ったことがあったんです。結局1学期だけ通って地元に帰って行ったのですが、その時「人生でムダな経験はない」と感じました。それも、島親を引き受けた理由の一つです。留学生にはなんでもいいから経験していってほしいと思っていますし、隠岐を選んでくれて感謝しています。

 

――島親になって1年が経ちましたが、しまね留学生と接してみていかがですか。

小川さん:自分の孫とは違うので不安もありましたが、みんな1年間ですごく成長しました。親の反対を押し切ってここに来てくれた子もいるんです。それに、一番感心するのは何をしても、感謝の言葉が返ってくること。そして留学生も「できることはなんでもするよ」と言ってくれるんです。“家族”なら何かしてもらうのは当たり前かもしれない。島親だから、感謝できる。私たち夫婦も「偉いね」と言って感謝しています。

 

 

 

――一番嬉しかったエピソードはありますか。

小川さん:最初は控えめに見えた子が、「波止場でトランペットを吹きたい」と言ってくれたんです。留学から間もない5月頃だったから、ホームシックだったのかもしれないですね。そんな寂しさを、海に向かってトランペットを吹いて吹き飛ばしていた。その音になんだかぐっと来てしまって。きっと都会では海でトランペットを吹くなんて考えられないですよね。ここでしかできない体験を通して、自分を奮い立たせていたんだと思うんです。
あとは遊びですね。シーカヤックや餃子パーティをしました。島親という立場ではありますが、一緒にいた私も楽しかったです。魚釣りをして刺身を一緒に食べたり、釣った魚を自分たちの親へ宅配便で送ったり。漁師さんも快く手伝ってくださって、翌日には親元に魚が届き、留学生のご家族がすごく喜んでくれたそうです。

 

 

――小川さんを介して、漁師さんをはじめ地域の方とも自然とつながりができているんですね。

小川さん:そうですね。漁師さんとか、ジオパークのインストラクターの方とか、隠岐島の方とか。私ひとりの力は小さくても、いろいろな場面で地域の皆さんに支えられている。ありがたいですね。

 

 

 

――いろんな体験をさせてもらって、留学生にとってはとても良い経験ですね。しまね高2留学期間もまもなく終わりですが、お別れを考えるとどんな気持ちですか。

小川さん:本当に寂しいですね。都会ではどんな生活をするのかな…と考えてしまいます。でもね、地図でなかなか見つけられないような島を選んで隠岐に来てくれて、みんな強くなったと思います。最初の頃と顔が全然違うんです。今は3人の留学生と関わっていますが、3人それぞれ個性が全然違いますからね。一人ひとりに合った声の掛け方や接し方を考えて、島親として一番の理解者になれるように心がけています。それができたのは、私の孫と過ごした1学期間の経験があったから。やっぱり、人生に無駄なことなどないんです。

 

これからしまね留学を目指す方へ

初めて島親になった時、私にも不安な気持ちがありました。でも今は、留学生にとって一番の理解者でありたいと思っています。長い人生を考えた時、挫折することもあります。でも、そこで立ち止まらないで。私の孫は隠岐の高校で学び1学期で地元に帰りましたが、今は元気に大学に通っています。とにかく一歩踏みだせば、人生の見え方が変わります。この留学も同じ。一歩踏み出す勇気を持って、挑戦してもらいたいです。

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