卒業生の声

2024.07.05

好奇心に導かれ飛び込んだ離島の水産高校で
新しい夢を見つけ、海の仕事を選んだ

隠岐水産高校 卒業生

下村勇斗さん

・奈良県出身
・ 親から県外の高校を勧められたこと、水産業に興味を持ったことをきっかけにしまね留学を選択
・甲板員として島根県大型水産練習船「神海丸」に乗船

下村勇斗さん

好奇心に導かれ飛び込んだ離島の水産高校で
新しい夢を見つけ、海の仕事を選んだ村上勇斗さん

中学までふるさとの奈良県で過ごし、隠岐水産高校(島根県隠岐郡隠岐の島町)に留学した村上勇斗さん(令和2年卒業)。3年間で船舶についての技術や知識を身につけ、その後専攻科へ。乗船履歴を積み、3級の海技士免許を取得しました。現在は島根県大型水産練習船「神海丸」の甲板員(県職員)として後輩の指導などにあたっています。海の仕事の魅力を知り新しい道を見出した隠岐での高校時代や、今の仕事ついてお聞きしました。

 

 

 

親元から離れ、海の仕事という夢と自立心を養う

 

――奈良県からしまね留学で隠岐水産高校に来たきっかけは何ですか。

 

村上さん:親の知り合いが隠岐島前高校に通っていたと聞き、隠岐の高校を知りました。また、親が「奈良県の高校よりも、外に行く経験をしてほしい」「楽しかったらどこへ行ってもいい」という考えを持っていて、県外への進学を勧められたのも留学した理由の一つです。隠岐島前高校以外にも高校があるかなと調べてみたところ、隠岐水産高校を知りました。水産という言葉を聞いたことはあったものの、奈良県には海がないので具体的にどんな仕事があるのかは知りませんでした。隠岐水産高校に通う中で海に関わる仕事を知ることができるかもしれないと、興味を持ちました。そこでオープンキャンパスに参加したところ、とても面白かったので入学を決めました。
水産高校なら京都などにもありますが、どうせ行くなら島の方が面白そうだという気持ちもありました。

 

――親御さんはなぜ外に出ろとおっしゃったのでしょうか。

 

村上さん:親自身が出身地の大阪から奈良に移住していたこともあり、外の地域も知っておいた方がいいと考えていたそうです。「地元の高校よりも他の場所で友達を作る方が面白いぞ」とも言っていました。でも、まさか島根まで行くとは思っていなかったでしょうね。

 

――海のない奈良県で育ったことは選択に影響しましたか。

 

村上さん:中学3年生のときは、ただただ「海は面白そうだな」と思っていました。水産について調べるようなこともなく、海そのものに強い興味を持っていました。

 

――「神海丸」に乗ることに惹かれたポイントは?

 

村上さん:1年生のころにさまざまな船や海の魅力を知ったことが大きかったです。フェリーや漁船、タンカーなど、船の仕事に興味を持ちました。2年生に上がるころには船を操縦してみたい気持ちに。3年生になってから就職準備の中で海技士免許を取得しようと決め、そのまま隠岐水産の専攻科に進み、2級海技士筆記まで取得しました。最初はタンカーに乗ろうと考えていましたが、先生から「神海丸」を勧められ、後輩の育成や船の魅力を伝えることを面白く感じ、練習船の乗組員になりました。

 

 

――県外の高校に進学して良かったことは何ですか。

 

村上さん:隠岐水産高校には大阪府などほかの地域からも生徒が集まっていて、友達の幅が広がりました。また、寮では洗濯や家事などを自分で行う必要があったので、自立した状態で社会に出られるようになります。そういう意味では隠岐水産高校に進んで良かったなと思います。

 

――留学前は不安や心配はありましたか。

 

村上さん:いざ行くとなったら、「うまくいくかな、友達ができるかな」という思いがわきました。でも、実際に入学してみたら、ほかの生徒も出身地から1人で来ていて、僕が留学したときはクラスの半分以上が島外からの生徒。すぐに友達の輪が広がりました。今もどんどん県外生が増えているようですね。

 

 

地域の人に見守られ、仲間とのびのび過ごす島暮らし

 

――隠岐水産高校でチャレンジしてみて、何か変わったことなどありますか。

 

村上さん:新しいことだらけの環境に飛び込んだため、何事にも挑戦できるようになったと思います。何があっても大丈夫な耐性もつきました!

 

――水産という未知の分野を学んだり、資格取得をしたり、新しいことを身につける3年間だったようですね。

 

村上さん:僕は中学まであまり勉強をしていなくて、ちゃんとやり始めたのは高校入ってから。親にお金を払ってもらっているので、「やらなければ」と義務感に駆られて頑張るようになりました。そうしているうちに、いつの間にか資格試験などがとても楽しくなっていました。興味があることだったから力を入れられたのでしょうね。

 

――村上さんの弟さんも隠岐水産高校に入られたそうですね。年先に隠岐に行ったお兄さんが楽しそうに見えたのでしょうか。

 

村上さん:この前別の取材で記者さんに聞かれた時、「そうだった」と言っていましたね。
学年が1つ下なので、学校ではそんなに関わりはなかったのですが、寮生活では兄弟として接しづらいところはありました。友達を介してお互いの様子も聞こえてきますし、弟は「兄が怖い」と周りに言ったりして……。僕は全然怖くないのに、弟の周りの人の中では勝手にイメージができあがっていました(笑)。

 

――隠岐の魅力はどんなところだと思いますか。

 

村上さん:隠岐は自然が豊かで、島民の方が温かいと感じます。学生の時はよく釣りに行っていました。釣竿を持っていると島民の方が「ここはよく釣れるぞ」と教えてくれたりして、歓迎されているなと感じました。僕たちは隠岐水産高校の学生だとわかっていたこともあったのでしょう。優しく声をかけてもらえていました。
同級生と釣りをしていたら漁船がやってきて、船が岸壁に着いたときにロープで留めるのを手伝うこともありました。僕たちは水産高校なのでそういう作業ができるんですよ。そのお礼にとれたての魚をもらって、寮に持ち帰ってみんなでさばいて食べました。楽しい島の思い出の一つです。

 

 

プロとして船に乗り、先生方の苦労や努力を実感する日々

 

――タンカーに乗りたかったという話もありましたが、就職で県外に出る気持ちにはならなかったのですか。

 

村上さん:タンカーは長期間乗って働き、その分長期間休暇を取るスタイルの仕事なので、実家からでも働きに行けます。そのため、タンカーに乗るつもりでいるときはそんなに島根県にこだわっていませんでした。「神海丸」に乗船することが決まったので、島根県にいた方が便利になりそのままいるという感じです。「神海丸」は乗船期間が2ヶ月程度。タンカーは本当に長期で、日本だけでなく世界中をまわる外航船の場合は、6ヶ月から8ヶ月ぐらい乗船することもあるようです。

 

――隠岐水産高校で学んだことは今の仕事にいかされていますか。

 

村上さん:学んだことがそのままいきています。船では甲板員としての役目があり、主な仕事は船の整備。船に錆びている部分があれば叩いてきれいにしたり、足りないものを用意したり、入港するときにロープを扱ったりなど、さまざまな作業を担当します。船をちゃんと動かすためのスタッフという感じですね。それに加えて、学生が体験する際は指導する側として一緒に作業しながら教えています。できるだけ分かりやすく伝えるように努めています。

 

 

――習う側から教える側になり、何か見方が変わったこと、高校時代の先生を思い出すことなどはありますか。

 

村上さん:担任の先生には感謝しかないですね。学生として船に乗っていたときは鬱陶しく思うこともありました。船員になって船に乗っていると、あのころの先生方の裏の仕事が見えてきます。朝指導をしてから食事をして、昼に指導をしたところで業務は終わりかと思ったら、ブリッジ(船の操縦室)に上がってすぐ今後の予定のミーティングや準備をする。そんな先生の姿は学生のときは見えなかったですね。頭が下がるなと今は思います。

 

――実習の際には担任の先生も生徒と一緒に船に乗るんですね。

 

村上さん:はい、数ヶ月一緒に過ごします。生徒に問題があれば対応し、県や学校に報告。その後は船長とのやり取りもあり、それが終わったと思ったら他の問題が出てきたり……。そういった様子を見ていると、「やっぱりすごいな」と思います。今はこの船のスタッフとして指導する立場にいるので、大変な面が分かってきますよね。本当に感謝です。

 

――将来の夢や目標は?

 

村上さん:2級海技士の免許を取得することです。筆記試験は合格しているので、あとは乗船履歴をつけて口述試験をクリアしたら取得できます。最上位免許の1級海技士の取得に向けても勉強しています。ゆくゆくは士官になって、若い人を育成し海の魅力を伝えていきたいと思っています。
士官というのは船を操縦するメインの船員です。実習の際は、学生も船の運航状況や周囲の船舶の動きなどを監視する航海当直(ワッチ)に入り実践訓練をします。そのときに指導するのが士官。船を運航するうえで気を付けるべきポイントなどを教えます。士官を希望してもそのときに採用枠があるかわかりませんが、少なくとも資格がないとキャリアアップできません。条件を揃えて備えておこうと思っています。

 

 

これからしまね留学を目指す方へ

どんどん新しいことにチャレンジする精神が大切です。また、勉強にしても何にしても、楽しむことを忘れずにやっていけたらどこでも通用すると思います。
水産高校で学ぶ海の仕事は命の危険が伴うので、怒られるときは結構きつく言われます。でも「次はここを直してみよう」と考え、それが達成できたら嬉しい。成功して手応えを感じながら少しずつ改善していけば、「次は何しようか」とモチベーションが維持されます。しまね留学をする県外からの生徒はチャレンジ精神があると思うので、それだけあれば、あとはもう楽しむだけ。きっと何でもできると思います。楽しんだ者勝ちですよ。

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