卒業生の声

2024.08.19

「もう後悔をしたくない」との思いを胸にしまね高2留学へ

金沢大学で地域課題の解決に向けたプロジェクトに挑戦中・島根県立隠岐島前高校

小林 京胡さん

・宮城県立高校出身
・しまね高2留学1期生として、海士町の隠岐島前高校で高校2年生の1年間を過ごす
・現在は、金沢大学で地域課題の解決に向けたプロジェクトに挑戦中

小林 京胡さん

それぞれに”思い”を持った人たちに恵まれた海士町への留学

小林京胡さん(以下、小林さん)は、しまね高2留学の1期生として島根県立隠岐島前高校(島根県立隠岐郡海士町、以下隠岐島前)で1年間を過ごしました。現在は、金沢大学融合学域・先導学類で学ばれています。インタビューでは、小林さんにしまね高2留学のきっかけや隠岐島前での学び・思い出、現在挑戦していること等について伺いました。

 

 

フランスの町長さんとお会いした際の様子。ご本人:左から3番目

「もう後悔をしたくない」との思いを胸にしまね高2留学へ

 

ーーしまね高2留学に挑戦した理由を教えて下さい。

小林さん:今回のお話を受けて、しまね高2留学に応募したときの書類を見返してみました。そこには、「広い世界で様々な経験をしている友人にあこがれを感じ、見えないことで後ろ向きになっている自分を変えたい。もっと広い世界を見てみたいと思った」と書いてあって、ああ確かにそうだったな、と。

 

ーー自分を変えたいというモチベーションがあったのですね。

小林さん:そうですね。その頃、自分の置かれた環境を変えたくて海外留学を検討していたのですが、新型コロナの影響で実現が難しい状況でした。そのような中、奄美大島の高校に留学に行っている同級生がいて、すごく楽しそうにしているのを見て、うらやましいなと思っていました。

 

ーー環境を変えたいと思っていた理由は何ですか?

小林さん:高校受験のとき、挑戦しきれなかったことを後悔していました。第一志望の学校があったのですが、模擬試験の判定が良くなくて、塾の先生や両親が心配して止めたこともあり、家から近い合格圏の高校を受けました。無事にその高校に合格したのですが、試験の点数は、第一志望の高校であっても合格できる水準を取ることができるレベルでした。

 

ーーそうだったんですね。

小林さん:はい。塾の先生や両親が、受験に失敗してほしくないという優しさからアドバイスをくれたのは分かっていました。それでも、「あのときチャレンジしていれば・・・」という気持ちがどうしても抜けなかった。自分で決めて、それで失敗したなら納得できたかもしれませんが、そうできなかったことにもやもやしていました。だから、今度は自分の意志で後悔のない選択をしたいと考えていました。

 

サントリーの研修に行った際の様子。

 

ーーでは、高2留学ができる学校は全国にある中で、隠岐島前に決めたのは何故ですか?

小林さん:これといった理由があったわけではないのですが、強いてあげるとすれば、父が勧めてくれたからでしょうか。「せっかくなら特色のあるところを選んではどうか」と言ってくれて、確かに特徴ある学校だし、離島だし、面白そうだなと(笑)。島根県内の他の高校や、北海道の高校も選択肢としてはありましたが、私としては、先ほど話したような背景もあったので、自分がいる宮城県からなるべく離れたところに留学したいというのがありました。

 

ーーお父さんが背中を押してくれたのですね。

小林さん:私は、高校受験のときの後悔を、言葉や態度に結構出してしまっていました。あまり良くないことなのですが、それぐらい悔しくて・・・。そんな私の姿をみて、両親も「本人に選ばせてあげればよかった」と思っていたのかもしれません。特に父は相当気にしていたのか、高校受験のときの選択を「自分(父)のせいにしていい」とまで言ってくれていました。そのうえで、しまね高2留学については、「やりたい、行きたいと思ったことは止めないから」と応援してくれました。

 

「自分」を持って挑戦する島の仲間たちに囲まれて

 

ーー留学先校や、留学先校の生徒、地域の方に対する第一印象はどうでしたか?

小林さん:オープンスクールで初めて離島に行ってみて、本州とは雰囲気が違うな、と思いました。町や学校と海との距離が近く、いい意味で都会感がない。あと坂が多いと感じました(笑)。生徒については「自分」を持っている子が多いな、と。私に足りないと感じていた部分なのもあって、うらやましいな、と思いました。

 

ーーその印象は実際に住んでみて変わりましたか?

小林さん:生徒については、いい意味ですごく変わりました。最初から「自分」を持っている子が多いと思っていましたが、一緒に過ごす中で、その思いは一層強くなりました。例えば、学校を休んで釣りに行く子がいたりとか、企業と連携してインスタでビジネスをしている生徒がいたりとか・・・本当にしたいことだけをしている生徒が何人かいて、びっくりしました。私からは、自分の興味のあることに自信をもって取り組んでいるように見えて、かっこいいなと思いました。

 

隠岐の方々と「開拓した道を歩くイベント」を開催した際の様子。

 

ーー留学中で特に印象に残っている地域での取組を教えて下さい。

小林さん:一番印象に残っているのは、「通学路の開拓」です。もともと、海士町にトレッキングコースを作ったらどうかという提案を地域の企業などにしていたのですが、最初はあまりいいリアクションがありませんでした。

 

ーーそこからどう進めたのでしょうか。

小林さん:周囲への相談を続けていたところ、30~40年くらい前に日須賀(ひすか)の子どもたちが、御波(みなみ)の小学校に通うための通学路があったことを知りました。既に葉っぱや木に覆われて通れなくなっていたのですが、3~4年前にその再開拓に動いていた方がいらっしゃったということでした。その方に相談したところ、「せっかく声をかけてもらったから、再挑戦してみるか」ということで、一緒に通学路の開拓をしていくことになりました。
※日須賀(ひすか)、御波(みなみ)は島の地名

 

ーー小林さんの行動が周囲の大人を動かしたのですね。

小林さん:そうですね。御波側の開拓が難しいとのことだったので、御波の区長さんに相談に行ったところ、同席されていた方がたまたま森を切るためのチェーンソーなどの機材をたくさん持っている方で、貸していただけることに。区長さんもその方も、昔、その通学路を使っていたとのことで、「あ!ここ通ったよ」といった話をしながら、皆で木々の伐採をしていきました。

 

ーー協力者もどんどん増えていったのですね。

小林さん:はい。日須賀側でも協力してくれる方に集まっていただけて、きちんと開拓していくことができました。3月には、高校2年生の授業の時間をもらって、同級生みんなでその道を歩くことができました。また、個人としてもウォーキングのイベントを企画して、宣伝してみたところ、20~30人くらい集まって一緒に歩いてくれました。ある方からは、「道に魅力を感じる人もいるけど、その道が持つストーリーに魅力を感じて歩く人もいる」と言っていただけました。その言葉は今でも強く心に残っています。

 

しまね高2留学を通じて、迷うくらいなら行動を起こす自分に

 

ーー留学を通して、自分が最も成長した、変わったと思うことは何でしょうか?

小林さん:大きくは3つあって、1つ目は「フットワークが軽くなった」ことだと思っています。それまでは、知りたい・行きたいで止まっていたけど、留学を通じて、行動に移すことが大事だと改めて気づかされました。行動を起こす人に対して、周りの人は意外と肯定的だし、少なくとも批判的な気持ちはあまり芽生えない、そうなのであれば、とりあえずやってみた方がいいと感じています。

 

ーー2つ目は何でしょうか。

小林さん:2つ目は、世の中にはいろんな人がいるな、と実感できたことも大きかったです。自分の住んでいる地域の外に出てみると、本当に色々な価値観があり、その人が何を大切にしているかによって、これからの行動や未来が変わる。そんなことは、当たり前だと言われてしまうかもしれませんが、それを言語化できるくらいまで理解することができました。

 

ーー自分の言葉で語ることができるようになることは重要ですね。

小林さん:そう思っています。そして最後の1つは、親のありがたみに気づいたことですかね。最初に仕送りをもらったとき、うれしくてすごく泣いてしまいました。それからは、仕送りが届く度に宛先が書いてある紙を全部取っておいて、宮城に持ち帰ったのですが、親が「なんでそんなの持ってるの?」って・・・(笑)。いつの間にか捨てられていましたが、本当にうれしかったです。

 

隠岐自然館にトレッキングコースをプレゼンした際の様子。ご本人:写真右から2番目

 

ーーでは、次に進路について聞いてみたいと思います。

小林さん:はい。私は今、金沢大学の融合学域・先導学類というところに通っています。卒論を書くか書かないかを選べたり、研究室やゼミもなかったりと自由な感じで、プロジェクト演習を中心に学んでいきます。具体的に何かを掘り下げるというよりは、広く浅く学び、日本や社会のために何ができるかを探すイメージです。その中で起業したり、休学してインターンに行ったりする人も多いです。

 

ーー留学の経験がその進路決定に与えた影響はあるのでしょうか?

小林さん:実は、高校3年生の11月くらいまで志望校が決まっていませんでした。その頃、たまたま新聞で大学の先生の記事を見て「ああ、この人と会いたい」と思い、それで受験することに決めました。ですので、自分の思いややりたいことにこだわりがあったというよりは、より直感的に動いてみたという感じでした。もし高校3年間ずっと宮城にいたとしたら、大学はもっと遠い場所に行きたい、となっていたと思います。島で1年間過ごしたことが、自分が抱えていた葛藤のクッションになったというか・・・。今通っている大学でやっていることの意義も、島での経験を経たことで、以前よりさらに深く理解できているのではないかと思います。

 

授業の一環でJA共済社員の方と「JA活性化に向けた企画立案」を行った際の様子。ご本人:左から3番目

 

ーー島根で過ごしたことで、今の日常に活きていることはありますか?

小林さん:一番大きいのは人脈だと思います。全国各地に、同級生や先輩、後輩、仲間たちがいるので、各地の情報が入りやすくなりましたし、皆がそれぞれの思いを持って異なる活動をしているので、自分が活動をしていくうえでの気づきになります。何かやりたいと思ったときに、相談できる人の数やタイプも増えました。隠岐島前に集まってくる人は、比較的・・・というか結構変わっている人が多い(笑)ので、その点に関してもよかったと思っています。

 

ーー小林さんの将来のビジョンを教えて下さい。

小林さん:これといった具体的なものはまだないのですが、社会的・経済的に恵まれていない方や、障がいのある方、何かの理由で自分の存在意義がないと感じてしまっている方、そういう方々に携わっていきたいと考えています。

 

ーー今後の大学生活でそこの解像度を上げていくのですね。

小林さん:はい。ただ、誤解されたくないのは、何が上で、何が下とか、そういう話ではないということです。高い目標を掲げて「やってやるぜ!」とまい進している人もすごいと思いますが、私自身は、困っている方々を含めて全体の底上げにつながるような、そんな仕事ができたらいいなと思っています。

 

地域の方と夕食をつくっている様子。ご本人:写真一番左

 

 

これからしまね留学を目指す方へ

迷うくらいであれば、やってみたらいいと思います。もちろん、全てがプラスになるというわけではありません。ただ、世の中的にはあまり知られていない「しまね高2留学」の存在に気づけたこと自体が運命というか、チャンスなのではないかと思います。やっぱり違うと思ったらやめたらいいわけですし、保護者の方と相談のうえで、是非トライしてみてください。

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