卒業生の声

2024.07.29

東京で生まれ育ち、しまね留学を経て現在は島根県の飲食店で働く

島根県立島根中央高校

榎本一仁さん

・東京都出身
・島根県立島根中央高等学校で地域活動や生徒会などを経験
・地域推薦枠で島根大学に進み、松江市の飲食店に就職

榎本一仁さん

東京で生まれ育ち、しまね留学を経て現在は島根県の飲食店で働く

中学まで生まれ育った東京で過ごし、しまね留学で島根県立島根中央高等学校(島根県邑智郡川本町)を選んだ榎本一仁さん(平成29年度卒業)。寮生活を楽しみながら地域活動や生徒会などさまざまな経験をし、島根大学(島根県松江市)法学部へ進学しました。現在は松江市内で飲食店を展開する地元企業に勤務。川本町には今も足繁く通って祭りやイベントなどに参加し、家族のように大切な人たちと絆を深めています。高校時代の思い出や川本町への思いを語ってもらいました。

 

 

 

 

 

――島根中央高校に入学するに至った経緯を教えてください。

 

榎本さん:小学校のときに通っていた塾の先生が川本町出身で、塾に島根中央高校のポスターが掲示されていました。当時はちょうどしまね留学が始まったぐらいのころ。先生にお話を聞いて行ってみようと決めました。当時農業高校の生徒が寮生活をする漫画が流行っていたこともあり、自分自身の中にはちょっとした寮生活への憧れがありました。また、親元から離れてみたい気持ちもあり、親戚などが一切いない島根県でいろいろなことができたら面白そうだなと選びました。

 

――しまね留学に興味を持ったきっかけは?

 

榎本さん:東京にいたころ、僕の周りでは小学校から中学校に上がる段階で私立の中学校に行く人がほとんどでした。僕は公立中学校だったのですが、人口の多い東京なのに1学年2クラスしかありませんでした。それぐらいほとんどの人が中学受験をするのが当たり前でした。そんな環境なので、「この高校に行ったら大体こういう大学にいく」というのが決まっていて、僕はそれがちょっと嫌でした。そこで、島根に行った方が選択肢が広がりそうだなと。ある意味、人と違うルートを行ったら面白いんじゃないかと考えるようになりました。

 

 

――学校や田舎暮らしに不安はなかったですか?

 

榎本さん:特に不安はなかったですね。強いて言うなら、寮生活でうまくやれるかなという思いはありました。
留学を決める前、中学1年生か2年生のときに学校見学で川本町を訪れました。東京の方がコンビニがすぐそばにあったりいろいろと便利は便利なのですが、意外と川本も暮らしやすそうだなと思いました。小さいころから自然が好きだったのもあります。

 

――実際に川本に住んで、寮生活はどうでしたか?

 

榎本さん:男子寮は廃校になった小学校を活用した建物で、教室だった空間をパーテーションで6部屋に分けていました。プライバシーは守られつつ、仕切りの上下は少し空いている状態。毎日修学旅行みたいな雰囲気ですごく楽しかったです。先輩後輩も仲が良かった。僕はテニス部でしたが野球部の先輩と仲良くなり、自分の部屋に戻ったら野球部の先輩が寝ているなんてこともありました。

 

――3年間で一番頑張ったことを教えてください。

 

榎本さん:地域活動ですね。先生に声をかけられ、2年生で生徒会長になりました。県外勢初の生徒会長というのもあって、地域の人に気にかけてもらいました。「榎本くん、こういうのがあるんだけど、やってみない?」と声かけてもらったり、川本以外の地域のイベントに呼んでもらうこともありました。地域と学校をつなげる活動をしたり、個人でも後輩を連れて地域のお祭りの手伝いに行ったり、いろいろやりましたね。

 

 

――川本町の地域の人にどんな印象を抱きましたか?

 

榎本さん:すごく人が温かく、地域全体で高校生を育てていただいていたと感じます。東京はマンションの隣の部屋の人とさえあまり関わらなかったりします。信じられないかもしれませんが、川本では遅刻しそうな子たちが道を歩いていたら近所のおじさんが車に乗せて学校に連れて行ってくれるような環境なんですよ!

 

――学校自体が地域と関わりが深そうですね。

 

榎本さん:島根中央高校はもともと地域活動に力を入れている学校です。たとえば、学校行事で石見銀山に竹林の伐採のお手伝いに行ったり、年に1回川本町内のゴミ拾いをしたり。地域のお祭に野球部がやぐらの設営に行くなど、どの部活も地域に出ていて、積極的に人との関わりを持っていました。

 

――卒業後の進路として島根大学法学部の地域人材育成コースを選んだのはなぜですか。

 

榎本さん:お世話になった人たちが川本町にいて、その人たちとの縁を続けたい、ちょくちょく帰りたいと思ったからです。東京より川本の方が故郷みたいな感じになったので。
地域人材育成コースは地域枠推薦で、川本のためにできることがあると思って選びました。

 

 

――大学に入ってからも川本に通っていたそうですね。

 

榎本さん:いろいろなプロジェクトやお祭りなどに手伝いに行っていました。大学に入ってすぐは原付で川本に通っていました。ものすごく時間がかかって大変でしたが……。車が欲しいと言っていたら、地域の人が「あの人が車屋のおっちゃんだよ」「安くしてもらえるよう言っておくよ」「四駆なら雪道でも来れるでしょ」と口をきいてくださって購入でき、それからは車で通っています。

 

――その後、島根で飲食業に就職されましたね。

 

榎本さん:今の会社は学生時代にアルバイトをしていて、社長についていきたいと思ったのが大きかったです。熱いところにひかれて、この人のもとで働いたら面白いんじゃないかなと就職を決めました。

 

――将来の夢や目標はありますか。

 

榎本さん:川本に戻りたいというか、「川本に対して何かできたらいいな」という思いはあります。家族のような存在の大人がたくさんいるということが大きいかもしれません。
正直なところ、同級生が結構県外に出てしまっているので悩んでいます。ただ、理想の姿のようなものはあります。お世話になった方々の家庭の雰囲気にすごく憧れるので、「そんなふうに暮らしたいな」というのはありますね。
地域には留学中にお世話になった〝島根のお母さん〟のような人が3人もいます。1人目は高校の先輩のお母さんで、理容室をされているのでよく髪を切ってもらっていました。今はその息子さんにカットしてもらっています。2人目は雲南市内の方で、大学生のときに地域活動に取り組む中で知り合いました。いろいろ気にかけていただいて、僕が大学2年生のときに事故に遭って入院したときは、親よりも先にお見舞いに来てくれて。祭りやイベントで川本を訪れるときは泊めてくださったり……。また3人目は、高校の先生のお兄さんの奥さんが僕のまち親さんで、とてもお世話になっています。

 

 

――留学でどのようなところが変わりましたか。

 

榎本さん:人と関わる機会がすごく多くなったのと、いろいろな部分で明るくなったのと……。たくさんありますね。留学してから勉強が楽しくなり、成績が上がったのも変わったところのひとつです。東京にいたら遊ぶ場所がたくさんあってアルバイトなどもしていたと思います。川本は遊べる場所がなく三江線で1時間かけて江津に行くのが唯一の遊びのような感じです。部活動や勉強、地域活動に時間を使うことで、自分が想像していた〝青春〟のような、学生らしいことができたと思います。また、もし中学以降も東京にいたら、この高校に行って、この大学に行って、一般企業に就職して……と道筋が見えていたと思います。川本に来たことで人と同じレールに乗らなくなったかもしれません。

 

――一般的な筋道から外れることが怖くなくなったということでしょうか。

 

榎本さん:そうですね。島大の法文学部は公務員や銀行などに就職する人が多く、僕のような飲食関係に進んだ人は珍しいかもしれません。そう言う意味では人と違うレールを選んだのかなと思います。島根中央高校に入ったから人と違う視点を持て、今の選択ができたのかなと思います。

 

 

これからしまね留学を目指す方へ

留学することで、今まで知らなかった自分に出会えると思います。親から離れると1人でしないといけないことも増えますし、人間関係などの悩み事も出てきます。そういったときに相談する相手として親が身近にいないので、やはり地域の人など周りの大人の存在が大きくなると思います。大人だからこそ客観的に見てくれる部分もあったり、自分を知るきっかけができるんじゃないでしょうか。親から離れるのは怖いことだと思いますし、大変なこともありますが、その分得られるものはたくさんあるはずです!

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