島根県立島根中央高校 須崎開人さん

都会ではできない経験をしてほしい
コーディネーターとして母校に戻った須崎開人さん

全国の中学校から島根県の高校に入学するしまね留学は、2010年度にスタートした取り組みです。制度開始から10年以上経ち、今ではしまね留学の卒業生が、高校魅力化コーディネーター(※1)として島根に戻ってくるケースも出ています。2015年に同県立島根中央高校(同県川本町)を卒業した須崎開人さん(24)もその一人です。須崎さんは、なぜ島根に戻ることになったのでしょうか。高校魅力化コーディネーターとして須崎さんの高校生活を見守った吉村朋子さんとともに、高校生活を振り返りつつ経緯を語ってもらいました。

 

※1 学校と地域をつなぐ存在として、生徒募集活動や生徒の地域活動の支援、また探究学習のサポートなどを担っている。2020年5月時点で、県内に50人程度配置されている。

本意ではなかったしまね留学

――須崎さんがしまね留学を決めた経緯について教えてください。

須崎開人さん(以下、須崎さん):母がもともと島根出身で、母方の祖母の家も島根県にありました。そんな背景もあったのか、中学3年の時に、突然母から「島根の高校に行け」と言われたんです。僕は家から自転車で通える都立高校の受験を考えていたので、大げんかになりました。結局、僕が折れる形で島根の高校を受験することになりました。

――お母様はなぜかたくなに島根の高校にこだわったのでしょうか。

須崎さん:僕が受けようとしていた都立高校について、評判があまり良くなかったのは理由としてあると思います。それでも僕は地元の高校に通いたいと考え、受験勉強もしていました。

――島根の高校の中で、なぜ島根中央高校を選んだのでしょうか。

須崎さん:当時はまだしまね留学の制度がそこまで整っておらず、受け入れているのが島根中央高校ともう一校ぐらいしかありませんでした。中学ではバスケットボール部だったのでバスケ部のある高校がいいなと思い、祖母の家から近く、従姉妹も通う島根中央高校に進学することになりました。

――島根での高校生活に対してどう思われていましたか。

須崎さん:正直、嫌でした。島根中央高校については、バスケ部があることくらいしか知りませんでしたし。島根に行くことが嫌だった、というより、学校帰りにどこかに遊びに行ったりするような、想像していた高校生活を送れないことが嫌でしたね。

吉村朋子さん(以下、吉村さん):須崎さんがしまね留学されたのは2012年のことです。当時は、まだ制度もあまり整っていませんでした。ただ、昔も今も子どもの意志で来るのは少数派という印象です。実情は、須崎さんのように親御さんが主導でしまね留学に来るケースが多いと思います。

東京について質問攻めにあう

――入学してからはいかがだったでしょうか。

須崎さん:寮から学校に通うことになりましたが、周りの生徒や先生がみんな方言で話しているので、何を言っているのかよくわかりませんでした。授業も方言で進められるため、当初は内容についていくことができませんでしたね。

――生活に慣れたのはいつごろからでしょうか。

須崎さん:1学期の終わりごろです。仲の良い友達や先輩ができ、人間関係には困りませんでした。入学当時3年生だった従姉妹が、「東京から新入生が来る」ということを話して回っていたこともあり、休み時間に先輩が僕のところに来て、東京について質問攻めにあうこともありました。寮で同じ部屋だった先輩は従姉妹と幼稚園の時からの同級生だったのですが、すごくよく面倒を見てくれました。

吉村さん:現在では「まち親」という制度があり、島根中央高校がある川本町の大人の方が生徒1人に1組つきます。怪我や病気があった時に対応してもらう制度です。保護者が本来担う部分のフォローをしてもらうものですね。

須崎さん:僕がいた時は、まだ「まち親」制度はありませんでした。おじが身元保証人で、そういう意味では、「まち親」はおじでしたね。

――先輩から東京について質問を受けたということですが、どんな質問をされたのでしょうか。

須崎さん:東京スカイツリーやディズニーランドのこととかですね。

吉村さん:地元の高校生にとっては、小学校、中学校とクラス替えもなく、同じ環境で育った子ばかりです。地元の生徒が自分と違うバックボーンの人と出会えるのも、しまね留学の魅力だと考えています。須崎さんの体験が物語っていると思います。



――それほど、都会から留学する生徒が当時は珍しかったということだと思います。現在の島根中央高校はどういった様子でしょうか。

吉村さん:須崎さんがいた当時から、島根中央高校の生徒数は1学年80~90人ぐらいで、数自体はあまり変わっていません。現在では約3分の1にあたる25~30人ほどを県外生が占めています。須崎さんの代では1学年5人ぐらいで、野球部など部活動を目的として入学した子しかいなかったと思います。

須崎さん:県外からしまね留学する生徒は、僕の下の代から増えてきました。今ではカヌー部や地域活動など、県外の生徒が魅力的に映る取り組みも豊富になっていますね。

県外生募集のための環境改善を先生に訴え続けた

――須崎さんはどのような3年間を過ごされていたのでしょうか。

須崎さん:バスケ部に3年間所属していました。ずっとバスケをしてきていて、僕のいた中学校はバスケの強豪でした。入部した理由は、「他にやることもないから」といった感じです。自分にできることも、バスケしかありませんでした。

――部活の時間はどういう時間だったのでしょうか。

須崎さん:身体を動かすのは元から好きだったので、リフレッシュできましたね。

――土日も学校や寮で過ごされていたのですか。

須崎さん:練習試合があるとか、絶対に帰るなと釘を刺されない限り、土日は祖母の家にいました。土日も寮に残るようになったのは3年生になってからです。

――3年になってから土日に寮に残るようになったのは、どんな理由からでしょうか。

須崎さん:3年生になって新しい寮ができ、移ることができたからです。それまでいた寮は学校のすぐ近くでしたが、周りに何もありませんでした。新しい寮は徒歩圏内にコンビニもありました。

吉村さん:今でもこの寮は、しまね留学生の寮として使われています。須崎さんが3年生になったころから県外生が増え、寮の環境を整える必要から町の施設を寮にしました。当初は野球部の寮として使う予定だったため、本来は須崎さんが入ることはできなかったんです。

――寮を移るまでの経緯を教えてください。

須崎さん:新しい寮は建物が新しく綺麗なので、どうしても移りたいと考えていました。そこで、校長先生に提案書を出そうと、同じ寮の友人と2人でいろいろ動いていました。校長先生への直談判には至らなかったものの、他の先生方が話し合いの場を設けてくださり、箇条書きで寮生活の現状を訴えました。最終的には「県外募集を今後続けるならば、こうしたほうがいいんじゃないですか」と訴えたことで先生方が折れ、野球部以外の寮生でも新しい寮に移れることになったんです。

――しまね留学の先駆者として、その言葉は重いですね。

須崎さん:入る寮の環境を事前に知っていたら、絶対に行きたくありませんでした。「今の環境を後輩に強いるのは嫌だ」という一心で動いていました。

吉村さん:今は野球部は旧来の寮に入り、新しい寮はそれ以外の県外生専用になっています。旧来の寮のほうが学校に近く、部活漬けの野球部にとっては好都合のようです。逆に県外生にとっては、多少学校から離れていても、周囲の環境が便利なところのほうが良いわけですね。

環境の変化を受け入れられる力が身に付いた

――バスケ部を引退されてからは、どんなことをされていたのでしょうか。

須崎さん:当時、川本町にはJR三江線が通っており、石見川本駅前に「シマステ」という地元の高校生が気軽に立ち寄れるスペースがありました。そこでボランティア活動をするなどしていましたね。

吉村さん:現在では「地域活動」として、しまね留学生が地元でできるボランティアも充実しています。昨年度は新型コロナウイルス感染症の影響であまり実施できませんでしたが、例年は地域の小学生が参加するサマーキャンプのボランティアや、隣町の美郷町の公民館活動への参加などの取り組みがあります。

須崎さん:ボランティア活動そのものには、土日に祖母の家に帰省した時にいろいろお手伝いをしていたので、特に抵抗はなかったです。地域でのボランティア活動のことは、大学の推薦入試でもお話しさせていただきました。

――しまね留学生の中には地域活動に期待する生徒も多いと思いますが、どういう機会を設けているのでしょうか。

吉村さん:意欲的な生徒に対しては、コーディネーターがイベントや行事に連れて行ったり、ボランティア活動を紹介したりしています。「自分達の地域に来てほしい」というまち親の方もいらっしゃるので、うまくマッチングできるようにしています。

――高校3年間で成長したと感じた部分はありますか。

須崎さん:身の回りのことを自分でできるようになりましたね。生活のスキルが身についたと思います。大学は東京の大学に実家から通っていたのですが、実家住まいでもいろいろ家事を手伝うようになりました。また、「大抵のことはなんとかなるだろう」と環境の変化を受け入れられるようになりました。人見知りも改善し、知らない人と話をすることは苦ではなくなったと思います。

何もないからこそできる経験を得てほしい

――現在、須崎さんはコーディネーターとして島根に戻ってきました。高校卒業以降の島根との関わりを教えてください。

須崎さん:実は高校卒業時は、島根には帰らないだろうと考えていました。しかし、しまね留学の経験そのものは貴重だと思い、大学の卒業論文のテーマに選びました。再び島根で働くきっかけになったのは大学4年生の時に、しまね留学について中学生に説明する手伝いをしたことです。自分の体験談を話すのは楽しいと思いました。


――東京の大学を出て、島根で働こうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

須崎さん:大学を卒業したら就職するつもりでしたが、満員電車に乗るのは嫌だと思っていたんです。最初は東京で職場の近くに住むことを検討したのですが、新卒の給料ではなかなか厳しいものがあります。それで、地方都市で就職しようと考えました。最初は長野など、東京に近いところで検討していましたが、次第に「知らない土地よりも知っている土地に行ったほうが何かと良いだろう」と思い、島根で働くことを考え始めました。

――コーディネーターの道を選んだのはなぜでしょうか。

須崎さん:就職先を探していたとき、大学では教職課程も取っていたので、教育実習で島根中央高校に来ました。前に赴任していたコーディネーターの方に就職先について相談をしたら、「自分は今年で辞めるからここのコーディネーターが空く」と教えてもらい、コーディネーターをやってみようと思いました。

――最後に、お二人からしまね留学を考えている方へメッセージをお願いします。

吉村さん:しまね留学を勧めている立場ではありますが、留学するからにはよく考えて来てほしいなとは思います。「入ってみたら違った」「やめればよかった」など、途中で進路変更することになってしまったら、親子ともに良くない思いをすることになってしまいます。単におもしろそうだから、ではなく、何回も島根に足を運び、将来のこともよく考えた上で、留学するか決めてほしいと思っています。

須崎さん:自分が来た時の環境とは全く違い、しまね留学のハードルは確実に低くなったと思います。田舎での生活は何もかも都会と違うので、ぜひ都会ではできない経験をしてほしいなと思います。何でもある環境から何もない環境にきて生活し、何もないからこそできる経験を得てほしいですね。

 

学校情報

島根県立島根中央高等学校

 

〒699-1251
島根県 邑智郡川本町川本222番地
TEL : 0855-72-0355

 

学校詳細 : https://shimane-ryugaku.jp/shimane-chuo/